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今月の短歌2021年1月「辛丑の年に因みて と題する信綱の歌」

牛を追ひ牛を追ひつつ此の野邊にわが世の半はやすぎにけり

佐佐木信綱『作歌八十二年』

 

 『作歌八十二年』の明治34年1月の項に「辛丑の年に因みて、牛を」と題して三首の歌が載っている。掲出の歌は、その一首目の歌である。この辛丑(かのとうし)の年というのは、60年に一度巡ってくるのであるが、信綱がこの歌を詠んだ年から数えて今年は2回目の辛丑の年なのである。120年前のこの年、信綱は29歳であった。歌には「わが世の半(なかば)はやすぎにけり」と詠まれているが、結果としてこの年信綱はその人生の三分の一にもまだ届いていなかったのである。父親の弘綱は64歳で亡くなっていて、信綱も自身の寿命をそれくらいと考えていたのであろうか。
 「牛を追ひ牛を追ひつつ」とあるのは、歌の道、古典研究の道一筋に歩んできたことをいうのであろう。「此の野邊」とは、歌や古典の世界、あるいは自らの研究生活をいうのであろう。また、三首目の歌では、将来に対する決意を歌っている。

 牛に似ておのがあゆみの遅くともゆくべき限りゆかんとし思ふ

 ここでは「牛」は、信綱自身の歩みに喩えられている。牛はゆっくりと着実にゆるぎなく進むというイメージがある。夏目漱石が晩年(大正5年)に若い弟子、芥川龍之介と久米正雄に宛てた手紙がある。
…勉強をしますか。何か書きますか。君方は新時代の作家になる積でせう。僕も其積であなた方の將來を見てゐます。どうぞ偉くなつて下さい。然し無暗にあせつては不可(いけま)せん。たゞ牛のやうに圖々しく進んで行くのが大事です。…

と書いた三日後に、追っかけるようにまた手紙を書き送っている。

…牛になる事はどうしても必要です。われわれはとかく馬になりたがるが、牛にはなかなかなり切れないです。僕のような老猾なものでも、ただいま牛と馬とつがつて孕める事ある相の子位な程度のものです。
 あせっては不可せん。頭を悪くしては不可せん。根気ずくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知つていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです。決して相手を拵えてそれを押しちゃ不可せん。相手はいくらでも後から後からと出て来ます。そうしてわれわれを悩ませます。牛は超然として押していくのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません。

 信綱もそのような牛のイメージを持っていたのだろうと思う。

(短歌鑑賞:森谷佳子)