佐佐木信綱

佐佐木信綱歌人・国文学者として大きい足跡を残した佐佐木信綱は、明治5年(1872) 6月3日、鈴鹿市石薬師町で生まれた。

信綱の家は代々医者・学者であったが、祖父徳綱は書家で武術にも秀で「東海道人物誌」に紹介されるほどであった。また、父弘綱は本居宣長の流れを汲む伊勢の国学者・足代弘訓に学び、江戸から明治にかけて歌人・国学者として全国的に活躍し、門弟は約1600名に及んだともいわれる。

信綱は、父の指導の下に満4歳の時万葉集、古今集、山家集の名歌を暗誦、5歳には孝経の素読をした。5歳のときには、信綱かるたにもある次の歌を作っている。

障子からのぞいてみればちらちらと雪のふる日に鶯がなく

明治10年(1877)12月、父が鈴屋社中の招請により一家は松阪へ移住した。翌年湊町小学校に入学した。

明治15年(1882)一家は上京。明治17年(1884)東京大学文学部古典科に12歳で入学し、同21年(1888)16歳で卒業した。卒業後は宮仕えはしないという父の考えを継ぎ、生涯文筆生活であった。東京大学で教えているが、非常勤講師としてである。

昭和38年(1963)12月2日、熱海市西山の凌寒荘にて没した。享年91歳。

佐佐木信綱年譜

西暦 数え年 ことがら
1872 (明治5年) 1歳 6月3日鈴鹿市石薬師町(現在)に佐々木弘綱の長男として誕生。
1977(明治10年) 6歳 松坂へ。
1882(明治15年) 11歳 東京へ。
1884(明治17年) 13歳 東京大学に入学。
1896(明治29年) 25歳 雪子(2歳年下)と恋愛結婚。
1897(明治30年) 26歳 短歌結社・竹柏会発足
1898(明治31年) 27歳 竹柏会機関誌「心の花」発行。
1899(明治32年) 28歳 竹柏会第一回大会、日本橋倶楽部で。
1901(明治34年) 30歳 「夏は来ぬ」『新選国民唱歌』に発表。
1903(明治36年) 32歳 第一歌集『思草』出版。中国旅行。
1905(明治38年) 34歳 東京帝国大学の講師になる。
1908(明治41年) 37歳 父弘綱の碑が故郷の淨福寺に建つ。
1925(大正14年) 54歳 『校本万葉集』完成。
1927(昭和2年) 56歳 『新訓万葉集上下』出版。
1932(昭和7年) 61歳 還暦記念として「石薬師文庫」寄贈。
1937(昭和12年) 66歳 第1回文化勲章を受章。芸術院会員。
1944(昭和19年) 73歳 熱海市へ。「凌寒荘」に住まう。
1948(昭和23年) 77歳 愛妻雪子が亡くなる。享年75歳。
1953(昭和28年) 82歳 自伝三部作を書きあげる。
(昭和28年9月〜昭和36年1月)
『ある老歌人の思ひ出』
『作歌八十二年』
『明治大正昭和の人々』
1963(昭和38年) 92歳 12月2日、亡くなる。
1970(昭和45年) 鈴鹿市は生家を移築し、佐佐木信綱記念館とする。

歌人としての活躍

明治27・28年の日清戦争後、歌壇に革新の機運が起り、信綱は落合直文、与謝野鉄幹、正岡子規に続いて新風を唱道した。明治30年(1897)に竹柏会を興し、翌31年には機関誌「心の花」を創刊した。「心の花」は当初総合雑誌的色合いが強く、これが短歌史の新たな展開をうながす大きな力となった。
歌集として「思草」「新月」「常盤木」「天地人」「山と水と」などがある。作風は、清新、温雅、肯定的人生観がうかがえる。「ひろく ふかく おのがじしに」を作歌信条として、多くの歌人を育てており、石槫(いしくれ)()(また)、川田 順、木下利玄、前川佐美雄、九条武子、柳原白蓮、五島美代子などは信綱の門人である。

学者としての業績

大学を卒業して間もない17歳での出版「日本文範」を第一歩として、生涯研究を続け数えきれないほどの著書を刊行している。その業績は、①万葉集の研究、②歌学史に関する研究、③文献発掘の3分野である。

① 橋本進吉等の協力を得て、原本のない万葉集について多くの古写本を調べ上げて集大成し、万葉集研究の基礎を確立したとされる「校本万葉集」を刊行した。30歳台にして早くも万葉学の権威となっており、「評釈万葉集」「新訓万葉集」「万葉事典」など万葉集に関する著作物が多い。

② 不朽の名著といわれる「日本歌学史」「和歌史の研究」など、歌学史研究に関する多数の著書を残している。

多様な分野での足跡

唱歌:「夏は来ぬ」、 幼稚園唱歌「雀の歌」、「水師営の会見」等の作詞
校歌:120以上の学校の校歌作詞 (詳細は下記)
筝曲・長唄・一弦琴・音頭などの作詞、歌舞伎・オペラなどの脚本
「松阪の一夜」:元文部省小学校国語教科書に掲載(賀茂真淵と本居宣長の会見の文)

刊行された主な著作

歌集(生涯一万首以上といわれる)

思草 遊清銀藻 新月 銀の鞭 常盤木 豊旗雲 鶯 椎の木 天地人 瀬の音
黎明 山と水と 秋の声 老松

自伝三部作

ある老歌人の思ひ出 作歌八十二年 明治大正昭和の人々 雲(随筆)

万葉集関係

校本万葉集 万葉読本 評釈万葉集 新訓万葉集 白文万葉集 万葉辞典

解説書

金沢本万葉集 有栖川王府元暦万葉集 桂本万葉集 西行上人歌集 
百人一首講義

校註

校註徒然草 校註竹取物語 校註伊勢物語 校註土佐日記 校註方丈記
校註更級日記

啓蒙書(入門書)

和歌を志す夫人の為に 短歌入門 作歌辞典 和歌ものがたり

三重県内の信綱歌碑

三重郡朝日町

小向神社

をふけのやここにおいたちし立華のたかきかをりは天の下にとはに
橘のここにいくしく玉くしげ再び三たびとひにしこの里

役場入口

くちせぬ名を国つ学の道の上に残せる大人はこの里ぞ生みし
時じくのかしのこのみのかくはしきたかき名仰かむ八千とせの後も

三重郡菰野町

尾高観音

夏知らぬ尾高々原ゆきゆくとほすすき風に朝明川志ろし

湯の山温泉

白雲は空に浮かべり谷川の石みな石のおのづからなる

四日市市

光念寺

春ここに生るる朝の日をうけて山河草木みな光あり

志摩市

志摩観光ホテル

羽音たてて何の鳥か遠く飛び去りぬ山頂はまた物の音なし

伊賀市

上野城天守閣天井

神の国あきつしまやまと曙の光の中に桜花さく

鈴鹿市<石薬師地区外>

鼓ケ浦海岸

松千もと立てりをれとも大君のきぬかさのまつの見の貴しも

近鉄若松駅前

海ほがらかに松原青しこの浦ゆ船出せし人の奇しき一生

文化会館前

卯の花の匂ふ垣根にほととぎす早もきなきて忍音もらす夏は来ぬ

鈴鹿市<石薬師地区内>

佐佐木信綱記念館  3
大木神社 1
石薬師寺 1
蒲桜 1
うのはな街道 2(1か所)
佐佐木家墓地 1

信綱揮毫の万葉歌碑

近鉄名張駅前

吾せこはいつく行らむおきつ藻の名張の山を今日かこゆらむ

四日市北警察署隣り

妹に戀ひ吾の松原見わたせば潮干の潟に鶴鳴き渡る(聖武天皇)

作詞した校歌

<北海道>
愛別町立愛別中学校
<栃木>
那須烏山市立烏山小学校
<埼玉>
浦和高等女学校 与野農商学校 本庄市立児玉中学校 滑川町立宮前小学校
<千葉>
銚子市立船木小学校 同第一中学校 同飯沼小学校 松戸市立第五中学校 佐原私立第二中学校 県立子金高校 香取郡神崎町立神崎小学校
<東京都>
板橋区立赤塚第三中学校 港区立神明小学校 北区立志茂小学校 千代田区立麹町中学校 都立豊島高校 品川区立山中小学校 筑波大学附属小学校 台東区立根岸小学校 府立第七高等女学校 府立第十高等女学校 山中国民学校 烏山国民学校 根津尋常小学校 日本赤十字看護大学
<神奈川>
横浜市立大綱小学校 同間門小学校 同南中学校 同末吉中学校 大正中学校 同戸塚高校 希望ヶ丘高校 同横浜平沼高校 県立鎌倉高校 県立三崎高校 川崎市立幸小学校 鎌倉市立御成小学校
<山梨>
玉穂町立三村小学校
<長野>
長野清泉女学院中学高等学校
<静岡>
静岡市立安倍川中学校 玉川中学校 大里中学校 熱海市立熱海中学校 湯河原町立湯河原中学校 福田町立福田小学校 同福田中学校 浜松市立西部中学校 同南陽中学校 浜松海の星高校 県立静岡工業高校 御殿場市立神山小学校
<愛知>
県立豊川工業高校 豊川市立南部中学校 中京大学附属中京高校
<岐阜>
県立武義高校 同岐阜農林高校 同本巣高等女学校 同岐阜高等女学校
<三重>
桑名市立多度中学校 同第五小学校 桑名高等女学校 朝日町立朝日小学校 四日市市立塩浜中学校 同南中学校 同楠中学校 同四日市高等女学校 同四日市商工学校 県立四日市高校 県立四日市工業高校 鈴鹿市立石薬師小学校 同箕田小学校 同平田野中学校 同神戸小学校(旧) 県立鈴鹿高等女学校 松阪市立機殿小学校 同花岡中学校 県立工業学校 県立松阪工業高校 県立飯南高等女学校 県立宮川高校 伊勢市立二見中学校 鳥羽市立鳥羽中学校 南勢町立五カ所小学校 大宮町・大台町学校組合立青陵中学校 県立名張高等女学校 三重師範学校 鈴鹿市立飯野小学校(旧)
<奈良>
県立奈良高校 吉野町立吉野中学校 大宇陀町立大宇陀中学校
<京都>
京都市立滋野中学校
<大阪>
大阪市立西船場小学校 大阪府立北野高校(旧)
<兵庫>
私立園田学園
<広島>
呉市立呉高等女学校
<山口>
下関市立下関商業高校
<佐賀>
小城市立小城中学校

―佐佐木信綱顕彰会調べ―

三重県内に校歌、歌碑以外で残るもの

湯の山音頭、湯の山小唄、霞ヶ浦音頭、鼓が浦音頭、四日市市歌、伊勢参り(長唄)
孝子・万吉顕彰碑文(亀山市坂下)