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今月の短歌 2月「新村出の歌の添削~九条武子の歌集に寄せて」

おほいなるもののちからにひかれゆくわがあしあとのおぼつかなしや

                                                                                                                九条武子『優曇華』

 

 掲出歌は、東京築地本願寺の境内の歌碑に刻まれている。九条武子は、明治20年西本願寺法主の次女として生まれ、才色兼備の誉れ高い女性であった。仏教婦人会の長として、さまざまな社会事業を起こし、それに奔走した。信綱の門に入り、柳原白蓮、片山廣子らとともに、信綱門下の女流として広告塔のような存在でもあった。震災の救援活動などでの無理がたたり、昭和3年、2月7日、42歳で病死した。
 歌意は、偉大な(仏の)力に導かれて進む我が足跡のたどたどしいことよ、くらいであろうか。自らの仏道への精進、あるいは人々への献身を謙虚に詠っている。
 2020年11月に発行された「泗楽」に、北川英昭氏が〈『佐新書簡』その後〉と題する文章を執筆されている。新村出氏の歌稿に、信綱が朱で添削し、封書で返送したものを何通か採り上げていられる。その中の一つに、九条武子の歌に関するものがある。新村出の歌稿には「金鈴 再刊本(即ち あそか新版本)を愛誦して 三首」(「即ち」以下カッコ内は信綱の朱で消されている)と題があり、三首の歌が書かれている。それに信綱が添削を加えて送り返している。
 上記の題の中の「金鈴」とは、九条武子の大正9年に刊行された歌集『金鈴』のことであり、その歌集が再刊されたというのである。「あそか新版本」とは、あそか病院が、武子の33回忌を記念して、昭和35年に出版したものである。あそか病院は九条武子が創設した病院である。
 新村出は、その武子の再刊された『金鈴』を読んで、武子を偲び、三首の歌を詠んだ。それを信綱がどのように添削したかを見てみよう。一首目。新村の歌は次のようである。

麗人の名著金鈴みそちまり経ぬれといよゝ音(ね)にひゝくかな

「みそちまり」は「みそぢあまり」が約まったもので、「三十路余り」のこと。三十余年(を経て)、つまり三十三回忌に再刊されたことを言う。「音にひゝく」は、「鈴」の縁で「音」という語を用いているが、心に響く、という意味であろう。30年余り経てもますます心に響く、というのである。
 信綱は、下句を添削して「経ぬれどいよゝよき音にひゝく」(経たけれどもいよいよ心によく響く)として、「かな よからず」と注している。新村の歌の句末の「かな」はよくない、それで「かな」を削除して「よき」を添えたのである。「かな」は安易に使いがちであるが心すべきであるということであろう。二首目。

大いなる力に引かれ疾く逝きて千代永らふるきみの尊さ

「大いなる力に引かれ」とは、掲出の武子の歌の「おほいなるもののちからにひかれゆく」を受けた表現で、本歌取りと言ってもよいか。「おほいなるもの」とは仏を指すのであろう。仏の道に導かれて早くに世を去って、その尊さは永遠に長らえるという意味であろうか。この歌は添削されていない。三首目。

一筋の朝の光に目さむれば生きの尊さいよゝ憶ほつ

この歌は、新村の感慨であろう。信綱は句末の「憶ほつ」を「憶ほゆ」になおしている。信綱の晩年、八十八歳の添削である。

(短歌鑑賞:森谷佳子)