最新情報

今月の短歌 4月「吉野の西行に引かれて」

吉野山ひじりの言葉しをりにてまだ見ぬ花も今日しわが見つ

     佐佐木信綱『佐佐木信綱 作歌八十二年』

 

 信綱27歳の4月の条、「吉野に遊んで、その紀行を心の花に掲げた」とある。「心の花」を創刊した年である。「幼くから山家集に親しんでおった身とて、なつかしさに堪えれら(ママ)ない」とある後に、掲出歌が置かれている。「山家集」は西行の家集であり、掲出歌の「ひじり」とは西行をさす。

 その西行が愛した吉野を訪れて「なつかしさに堪え」ないと書く。「山家集」で、吉野の西行に親しんでいた信綱には、初めて訪れた土地とは思えなかったのであろう。吉野の地で西行に「出会えた」ことの感動が、結句の「今日しわが見つ」という強い言いきりに表れているように思う。

「しをり」とは「枝折」で、もともとは山を歩くとき、迷わないために枝を折って印にしたもの。この歌は、西行の次の歌を下敷きにして詠まれたものである。

吉野山こぞのしをりの道かへてまだ見ぬかたの花をたづねん 

『山家集』

 意味は、吉野山よ、去年の、枝を折って印をしておいた道を変えて、今年はまだ見たことのない方の桜をたずねよう。

掲出歌の意味は、西行の歌の言葉を「しをり」にして、まだ見ていなかった吉野の桜の花を今日こそ私も見た、というのである。ここでの「しをり」は案内とか手引きとかいう意味である。西行の歌を本歌として、西行の歌心を引き継ぎ、西行に寄り添って詠まれている。

(短歌鑑賞:森谷佳子)