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今月の短歌 6月「琴歌譜を発見したよろこび」

吾はもや此のうた巻を初(うひ)に見つ千とせに近く人知らざりし

佐佐木信綱『豊旗雲』

 「天元四年書写の琴歌譜を見いでし日に」(天元4年、すなわち西暦981年に書写された琴歌譜を発見した日に)と詞書があって、この歌が置かれている。歌意は、私は何と、初めてこの歌巻を見た、千年近く人に知られないでいたこの歌巻を。
 『作歌八十二年』の記述によれば、大正13年の6月、京大附属図書館を訪ねて、前年の大震災の後、近衛家から寄託された古典籍の数々を披見した中に、この「琴歌譜」があった。天元四年に書写されてから数百年間近衛家に秘蔵され、「学界の耳目に触れなかった文献で、巻中、かつて世に知られなかった上代の歌謡十三首を含んで」いたのである。大震災がなかったならば、さらに発見が遅れただろう。信綱は、この発見を「震災が、そのつぐのい(償い)の一部として、学界にささげた書ともいえるのである」と記す。
 信綱は、この震災では、出版直前の万葉集の校本を焼失し、呆然としたのであった。その後のこの発見は大きな喜びであったであろう。その歓喜と得意の気持ちが素直に表出された歌が掲出歌である。
 実は、この歌には本歌ともとれる歌が万葉集にある。

我はもや安見児得たり皆人の得かてにすといふ安見児得たり

 「私は何と、安見児を我がものにした。皆誰もが手に入れられないという安見児を我がものにしたのだ。」安見児とは、奈良時代の采女で、この歌の作者藤原鎌足が天智天皇から下賜された女性である。その手放しの喜びようは、儒教などの束縛をまだ受けていない素朴で放胆な万葉人の感情の表出である。信綱は「琴歌譜」を得た喜びを、鎌足の「安見児」を得た喜びに重ねたのである。

(短歌鑑賞:森谷佳子)