ふるさとのわが伊勢のうみ海の上(へ)を十六夜(いざよひ)の月のぼりけらずや
佐佐木信綱 折本『鈴鹿行』より
信綱は昭和25年10月、父弘綱の60年記念祭に出席するために、秘書村田邦夫を伴ってふる里の地を訪れた。79歳の時である。これが最後のふる里訪問となった。このとき、一行を案内したのは、杉本龍三造市長、そして川北一雄、福岡法重らであった。
10月24日に熱海を出立、名古屋から若松に至り、大黒屋光太夫の碑を見て伊坂邸に宿る。翌日は石薬師小学校の講堂で碑前祭に参列したあと、講話。鞠が野、山辺の御井などを巡り、神戸高校での講話、魚半楼にて宴会の後宿泊。26日には四日市に移動し、ゆかりの各地を巡って、四日市高校での講話、と精力的に日程をこなし、富田浜の汀聴庵に宿った。
旅を終えた後、その行程を歌日記風に短歌70余首とともに綴った折本「鈴鹿行」を作り、ふる里の行く先々で出会った人々、世話になった人々に贈った。「鈴鹿行」の最後には、富田浜の海岸を散策したときの感興を詠んだ連作「月の富田浜 九首」がある。その冒頭の歌が掲出歌である。
昭和25年当時の富田浜は白砂清松の美しい海岸であった。昭和34年の伊勢湾台風の後、コンクリートの堤防ができ、さらに名四国道が通り、40年代のコンビナート建設と共に完全に姿を消してしまったが、それまでは名古屋から保養客や海水浴客が訪れる風光明媚な美しい浜辺であった。信綱が訪れた時は、富田浜が最後の光芒を放っていたときであったろう。現在は、松並木のみがわずかに面影をとどめている。
歌は、「うみ」と「海」を繰り返し、ゆったりとした調べで、結句「のぼりけらずや」の古雅な詠歎につながる。ふる里での過密な日程をこなし、海辺の地でゆったりくつろいだのであろう。この日は陰暦の9月16日、月も信綱のふる里来訪を歓迎したのである。美しい十六夜の月の下、海辺の風景に心を遊ばせている信綱がいる。
短歌鑑賞 森谷佳子