最新情報

今月の短歌 4月「石薬師の蒲桜」

ますらをの其名止むる蒲桜更にかをらむ八千年の春に

                          佐佐木信綱 石薬師時門前 蒲桜脇歌碑

 石薬師寺の門前近くに「蒲桜(がまざくら)」と呼ばれる桜がある。伝承によれば、寿永3年(1184年)に源頼朝の弟範頼が平家追討のため西へ向かう途中、石薬師寺に詣でて戦勝祈願をし、持っていた桜の枝の鞭を逆さにして地に挿して、願いが叶うならば、この桜根付け、と言って去った。願いは叶い、その桜が根付いて成長したのが「蒲桜」であるという。範頼は頼朝の異母弟で、遠江国蒲御厨で成長したので「蒲冠者(がまのかじゃ)」と呼ばれたことにより「蒲桜」という。
 この桜は三重県の天然記念物に指定されていて、樹齢800年と言われるが定かではない。同じように範頼のゆかりで、埼玉県北本市の石戸宿に「石戸蒲桜」があるが、この桜との関係はわかっていない。
 掲出歌の「ますらを」とは範頼を指し、歌意は、蒲冠者範頼の名を留める蒲桜はこの後も長く春になれば咲き馨るだろう、というのである。
 さて、範頼は石薬師寺で祈願した後、おそらくは、先に西上していた義経と合流し、勢田で義仲を討ち、一の谷では、義経が鵯越で攻める一方、範頼は大手軍を率いて戦いを勝利に導いた。しかし、二人の末路は、義経は頼朝により討たれ、範頼も建久4年(1193年)、謀反の疑いで伊豆国へ流された。その後、石戸宿に逃れて隠れ住んだという説があり、石戸宿の「蒲桜」の伝承につながるのである。
 なお、蒲桜の近くに、範頼を祀った「御曹司社」という小さな社がある。範頼の墓があるともいう。
 ところで、ゴッホの描いた「タンギー爺さんの肖像」という絵の背景に複数の浮世絵が描かれていることはよく知られているが、その中に石薬師宿の蒲桜が描かれている。その元になった広重の竪絵五十三次名所図会の石薬師の桜の絵には「義経さくら」と書かれていて「蒲桜」ではないのは、不思議なことだ。


 短歌鑑賞:森谷佳子