萬葉(よろづは)の道の八十隈ゆき行かむ岩根木根立(きねたち)こごしくありとも
佐佐木信綱『佐佐木信綱 作歌八十二年』
『作歌八十二年』の昭和9年7月の項に「帝国学士院会員に任命を蒙った。陳思三章。」とあって三首の歌が掲げられている、その二首目が掲出歌である。
帝国学士院とは、日本学士院の前身であり、明治39年に、学術振興を目的として作られた。現在の日本学士院は会員の投票により新しい会員が任命されるが、帝国学士院の会員は勅撰(天皇が撰ぶ)となっていた。この昭和9年7月に信綱は勅撰を受け、任命されたのであった。
大正13年からの『校本万葉集』の刊行以来、昭和5年にNHKの「万葉集講座」、6年には『万葉秘林』十一種完成、8年には春陽堂万葉集講座を監修・執筆、9年5月には万葉集英訳事業に着手するなど、とりわけ万葉集に関する業績がこのころ多く、充実した時期であった。萬葉集研究は信綱のライフワークであり、その研究に心血を注いてきたので、その思いから掲出歌が詠まれたのであろう。
意味は、万葉集研究の道の隅々まで進んでゆこう、その道が大きな岩や木の切株でごつごつして険しくあろうとも。
帝国学士院会員に任命されたことを励みに、いよいよ万葉集の研究に邁進しようという新たなる決意の表明であり、常に前に進もうとする信綱の気概が表れている。
短歌鑑賞:森谷佳子
佐佐木信綱記念館蔵「校本万葉集」