ゆるぎけむ白嶺(しらね)おろしにいざいざと吹き立てられて君も来つらむ
橘曙覧 『志濃夫廼舎(しのぶのや)歌集』
今回は、橘曙覧(たちばなのあけみ)の歌を紹介する。橘曙覧は江戸末期の越前の歌人であり、信綱は彼の歌を高く評価していた。信綱によれば、橘曙覧は25歳で商家の家業を弟に譲り、「窮乏の中にいながら、生涯、詠歌を事とした」。明治時代、正岡子規が紹介して以来、歌人として世に知られるようになったという。(『短歌入門』)
折しも今年は、白山開山1300年という記念の年で、越前・加賀・美濃の白山禅定道(白山信仰の登山道)のある地ではさまざまな記念行事が開催された。筆者も11月に行ってきたが、福井県立歴史博物館の展示の序章「うたと物語にみえる『白山』」で、まず紹介されていたのが、地元の歌人、橘曙覧のこの歌であった。
調べてみると、この歌には詞書があって、「大野人布川正興、やよひばかり訪(とぶ)らひく、その見せける白山百首の中なる歌によりて」とある。大野の人布川正興のことはわからないが、おそらくは歌の弟子であろう。その人物が詠んで持参した「白山百首」を見て曙覧が詠んだ挨拶の歌が、掲出歌である。意味は「白山をゆるがして吹き下ろしたであろう白嶺おろしに、さあさあと促されるようにして、君も私のところへやってきたのであろう。」
さて、福井県立歴史博物館の展示には、「古今和歌集」にみえる歌も紹介されていた。
君がゆく越の白山知らねども雪のまにまに跡はたずねむ 藤原兼輔
思ひやる越の白山しらねども一夜も夢に越えぬ夜ぞなき 紀貫之
「白山」はいずれも「しらやま」と読む。古くはそう読まれていたようだ。これら古今和歌集の著名な歌人は、自分の目で「越の白山」を見たことはなく、歌のなかの「白山」という言葉は、「知らねども」の「しら」を音(おん)で導き出すための序詞として用いられている。いわば観念的な白山である。しかし、橘曙覧の掲出歌は、実際に白山の見える土地に生まれ、白山を身体で感じて詠まれたのがわかる。
白山は標高2700メートル、富士山、立山とともに、日本三霊山とされる雄大な山であるが、越前の、たとえば勝山市あたりから遠望すると、女性的な美しい山に見える。白いなだらかな稜線を横長に見せて、見方によっては横たわった女性の肌の起伏を思わせる。白山を開いた泰澄大師が、少年の頃から白山に憧れ、壮年に至って女神を観じたというのがわかるような気がする。
信綱は曙覧の歌は万葉風であると評していて、わかりやすい歌が多い。有名なのは「独楽吟」と呼ばれる「たのしみは」で始まる歌群である。その中から三首挙げておく。
たのしみは朝おきいでゞ昨日まで無(なか)りし花の咲ける見る時
たのしみはまれに魚煮て兒等(こら)皆がうましうましといひて食ふ時
たのしみは心をおかぬ友どちと笑ひかたりて腹をよるとき
なお、写真は、福井から勝山に向かう「えちぜん鉄道」の保田(ほた)発坂(ほっさか)間の車中で撮ったものであり、この区間は「日本の鉄道車窓絶景百選」に選ばれている。
(短歌鑑賞:森谷佳子)