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今月の短歌 1月

うつる世に移らざるものナビイの歌ふしおもしろううたふを聞けば  

                              佐佐木信綱 『秋の声』

 

『作歌八十二年』の昭和28年、82歳、1月の条に、「三島の杉本武君に伴われ来た八重山群島の安里武恭君から、琉歌の話を興味深く聞いた」とあり、この歌が載っている。「琉歌」とは、琉球諸島に古くから伝わる独特の叙情短詩形の歌謡である。節をつけて三線の伴奏で歌われたという。その伝説的な歌人が「恩納ナビイ」である。

恩納村に生まれたナビーは、自由な発想でさまざまな思いをすなおに歌いあげた、琉球を代表する女流歌人である。恩納ナビーがいつごろ生まれたのか、はっきりとわからないが、彼女が残した歌の内容から、1700年代のなかばごろに生まれたのではないかといわれている。その歌は現代でも節をつけて歌われているというから、200年以上も歌い継がれているということになる。その間、琉球は数奇な歴史を辿ったが、恩納ナビーの歌は、変わらずに歌われているのである。まさに「うつる世に移らざるもの」である。

その歌の素直なおおらかさは人々の心を捉えて離さなかったであろう。代表的な歌を二、三挙げる。

   波の声もとまれ 

   風の声もとまれ

   首里天がなし 

   美御機拝ま

歌意は「波の音も静まれ  風の音も静かになれ  国王様のお顔をみんなで拝みましょう」。 琉球の王・尚敬王が北部を巡視中に恩納村の万座毛に立ち寄った際、広場には王の顔をひと目見ようと大勢の人が集まっていた。その光景を見たナビーが、ウシデーク(女性の輪踊)の時に王一行へ歓迎の意を表して、即興で詠んだ歌といわれている。

   恩納松下に 

   禁止ぬ碑ぬ立ちゅうし

   恋忍ぶまでいぬ

   禁止やねさみ

恩納番所の役人が、農民たちの楽しみだった踊りを禁止する立札を立てた。それを見て、ナビーが詠んだ歌といわれる。「恩納番所の前の松の木の下に、色々な禁止事項を書いた掲示板が立っているけれど、その中に恋をしてはいけないという禁止まではあるまい。だから私たちが恋をするのに何もおそれはばかることはない。」

前の歌は国王を称える歌であるが、この歌は為政者の庶民に対する抑圧をものともせぬ強さが表れている。作者の自由で大らかな発想がうかがえる。

   恩納岳あがた

   里が生まり島

   むるん押し除きてぃ

   くがたなさな

歌意は「恩納岳のあちらがわに、私の恋人の生まれた村がある。この邪魔になる山を押しのけて、私の恋人の村をこちら側にひきよせたいものだ」。実に、魅力的な、万葉風とも言うべき歌である。

掲出歌に、「ふしおもしろううたふを聞けば」とあるから、信綱は、安里武恭なる人物から、琉歌の話を聞き、現代に歌い継がれているナビーの歌を実際に聞いたのであろうか。あるいは、レコードなどで聞いたであろうか。

ちなみに、今上天皇は、初めて沖縄を訪問した皇太子時代から沖縄の伝統文化に造詣が深く、琉歌も学び、平和への思いを込めた次のような琉歌を詠まれている。

   花よおしやげゆん  人知らぬ魂

   戦ないらぬ世よ  肝に願て

  意味は花を捧げます  人知らぬ御霊に  戦いのない世を心から願って。(短歌鑑賞:森谷佳子)