月しろきあしびが原をゆきゆけど古へ人は逢わずもあるか
佐佐木信綱『鶯』
酔歩蹌踉山上憶良いゆくあとにそひゆく道の卯の花月夜
佐佐木信綱『山と水と』
信綱には、敬愛する万葉歌人山上憶良に自分を重ねて詠んだ歌が何首かある。掲出の二首も、万葉人と信綱が時代を超えて交錯するような歌である。
一首目。59歳の四月、奈良に出かけた折、月明かりのあしび(馬酔木)の原を歩きながら、万葉びとに出会わないものかと思っているけれども、行っても行っても会わないことだなあ、と嘆息している。万葉人とは、あるいは山上憶良を指すのかもしれない。月の白い春の夜、「あしびが原」は月の光に照らされて幻想的である。時間を超えて万葉びとがそこに現出しても不思議ではない空間。しかし、行けども行けども出会わない…。
二首目は、70代の詠である。「酔歩蹌踉」とは、酔っ払ってよろめきながら歩くことである。歩いているのは山上憶良。そこは大宰府の梅園ではなくて、大和であろう。憶良は酒好きだったのだろうか。卯の花が白く浮かぶ月夜である。「いゆく」は「ゆく」に同じ。憶良が酩酊してよろよろ歩いて行く後ろから信綱がつき従ってゆくのであろうか、その卯の花の咲く道を。
いずれの歌も、信綱の万葉人への尽きせぬ憧憬が息づいている。鈴鹿には信綱が愛し、歌った卯の花を道沿いに植えた「卯の花街道」がある。(短歌鑑賞:森谷佳子)