ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲
佐佐木信綱『新月』
9月の彼岸の頃、薬師寺に出かけた。あることを確認したかったのである。2年前に顕彰会だより「うのはな」の「信綱そぞろ歩き1」に次のようなことを書いた。「現在信綱の薬師寺の歌碑は西塔のほとりに建っている。この碑は昭和30年、信綱83歳のときに建てられたのであるが、その当時西塔は(兵火で焼失していて)なかったのだから、東塔のほとりに建てられたのである。それが東塔の解体修理が始まって、現在の西塔のほとりに移転させられた。ところが、そこにはすでに平成11年建立の会津八一の歌碑があったから、二つの歌碑が並び立つということになった。(中略)2020年に東塔の修理が完成した暁には二つの碑はまた東西に分かれることになるのだろうか」と。信綱の薬師寺歌碑に刻まれた歌は、信綱の歌の中でも最も人口に膾炙している掲出の歌である。歌に詠まれている「塔」は東塔である。この歌に関しては、2018年10月のこの欄で取り上げているが、菩提樹の下に碑はあったという。
2020年、オリンピックの開催される年に修理が成る予定で、落慶法要が4月に行われるとネットに出ていた記憶がある。予定通りなら信綱の碑は、もうすでに東塔のほとりに戻っているはずである。ところが、行ってみると、東塔は修理が成っているように見えたが、周囲には工事中のフェンスが張られたままで近づけなかった。芝生も植えられてはいず、当然菩提樹もなく、信綱の歌碑もまだ戻ってきていない。
寺の関係者に聞くと、落慶法要はコロナで延期されたが、もう一つ予期せぬことが起きた。解体修理中に東塔の足元で発掘調査の必要が確認されたのだ。今はその発掘調査をしていて、大体今年中はかかる、ということだ。私は深呼吸をして、二つの塔を見上げた。
西塔の方は昭和56年に、実に453年ぶりに再建がなった。これは「再建」であるから、創建当時の丹の色も鮮やかな絢爛たる塔である。一方、向かい合って立つ東塔は「修理」であるから、2009年の工事開始時の外観と同じで、年月を経て黒ずんだ落ち着いた佇まいである。二つの塔を見比べると不思議な感じがする。
さて、もう一つ驚かされたのは、公開中の西塔の中の「釈迦八相像」である。釈迦八相とは、釈迦の生涯の中で重要な八つの場面のことであり、創建当時東西の塔の内陣に「釈迦八相像」が安置されていたという。小さな像を複数祀る群像形式で立体的に表していたとされる。西塔のそれは塔と共に兵火で焼失したのであるが、彫刻家中村晋也氏によって、金銅で新たに創られた。2015年の完成である。心柱を囲んで4面に配置された群像は、その背景の菩提樹の木々や岩山などと共に彫り出されたレリーフで、壮大な立体的群像絵巻とも言える大変見応えのあるものであった。ちなみに、中村晋也氏は、三重県の生まれ、フランス留学を経て、日本の彫刻界の第一人者として活躍、2007年には文化勲章を受けている。薬師寺大講堂の「釈迦十大弟子像」、弥勒如来像の両脇に侍する二菩薩像も、中村晋也氏の作である。
秋のひと日、東塔を眺めた信綱も見たであろうか、萩やコスモス、紫式部が咲き誇っていた。
森谷佳子