信綱かるた 50首紹介

信綱かるた
顕彰会では信綱の短歌に広く親しんでもらうため、平成16年に「信綱かるた」をつくりました。
信綱が生涯において詠んだ1万余首の中から50首を選んでいます。

朗詠

吉川光和氏
社団法人 全日本かるた協会  専任読手 九段
三重県かるた協会
1997年よりかるた競技の最高位戦の名人戦、クィーン戦に出場。各かるた会の指導者として活躍中。


朗詠の基本

1)朗詠の音階:レラララララのように5音階の差がある音程で朗詠します。朗詠は2音程のみです。
2)朗詠の伸ばし方:長く伸ばす[ ー ]、短く伸ばす[ – ]の2種類のみです。
3)上の句/下の句の読み方:上の句は5秒台、下の句は4秒台で読みます。
4)朗詠の余韻:余韻は約3秒間。2秒間はほぼ同じ音程、1秒間は弱くして読み終えます。
出典:2013年3月28日(木) 佐佐木信綱顕彰会
講師:吉川光和氏 「『信綱かるた』朗詠の講習会」より抜粋

「信綱かるた」イメージ画

信綱かるた信綱かるた信綱かるた信綱かるた信綱かるた
渡部明美さんによる力作です。
『信綱かるたイメージ画』は『信綱かるた』の10周年を記念して作製されました。
1 障子からのぞいて見ればちらちらと 雪のふる日に鶯がなく
父の書斎のガラス障子から、西の山の方をのぞいて見ると、雪がふっている日なのに鶯が鳴いている。(五歳作。「よしよし、これが信の初めての歌だ」と父弘綱に言われる)
2 六つに越え九つにして鈴鹿山 ふたたび今日はのぼりけるかな
父に連れられて六歳の時、鈴鹿山を越えて大阪や京都へ行った。九歳になって、加賀(石川県)や越前(福井県)へと今日はふたたび鈴鹿の山を登っているよ。(八歳作。父弘綱はこの旅を『加越日記』として書く)
3 一すぢの煙をあとにのこしおきて 沖をはるかに船はゆくなり
ひとすじの煙を後に残しておいて、沖のはるかむこうを、船は進んでいくよ。(十歳、信綱が上京途次に作る)
4 夕されば近江境の山みつつ 桐畑の隅によく泣きゐしか
夕方になると近江(滋賀県)との国境にある鈴鹿の山をじっとみつめながら、桐畑の隅で幼い自分は、よく泣いていたなあ。
5 四日市の時雨蛤、日永の長餅の 家土産まつと父を待ちにき
父は家へのみやげに、四日市のしぐれ蛤、日永の長餅を持ってきてくれる。そういう父をよく待っていたものである。(父、弘綱は四日市へ講説に行く)
6 いきいきと目をかがやかし幸綱が 高らかに歌ふチューリップのうた
孫の幸綱がいきいきと目を輝かせ、声高くひびかせて歌っているのは「チューリップの歌」であるよ。(信綱が病気の時、住持を思い出して)
7 月ごとの朔日の朝父と共に まうでまつりし産土のもり
ここは、毎月の一日の朝、父と共にお参りにきた、ふるさとの大木神社である。(大木神社歌碑)
8 どつちにある、こつちといへば片頬笑み ひらく掌の赤きさくらんぼ
孫が両手を閉じて差し出し「どっちにある?」と問う。私が「こっち」と指さすと孫はいたずらっぽく笑って手をひらく。手の中には真っ赤なさくらんぼが。(孫は幸綱である)
9 目とづればここに家ありき奥の間の 机のもとに常よりし父
今石薬師にきて、じっと目を閉じていると、浮かんでくる。ここに私たちの住まいがあった。家の奥の間の机に向かっていつも父の姿があった。(昭和二十五年、信綱最後の故郷訪問。佐佐木信綱記念館歌碑)
10 天にいますわが父のみはきこしめさむ 我がうたふ歌調ひくくとも
私の歌が低調でまずくても、必ずや父は天で耳を傾けていてくださるにちがない。(父弘綱十年祭。信綱二十八歳作)
11 やま百合の幾千の花を折りあつめ あつめし中に一夜寝てしが
山百合の花を幾千も折りあつめよう。そしていっぱいの花の中で一晩寝たいなあ。
12 ものぐさのあるじ信綱あさなさな 庭におり立つ石楠花さけば
この凌寒荘に住まいする、ものぐさの主人信綱であるが、毎朝毎朝、庭に降り立っていくのであるよ。心をなぐさめてくれる石楠花が咲いているので。(凌寒荘は終のすみか)
13 湯の宿のつんつるてんのかし浴衣 谷の夜風が身にしみるなり
温泉宿のかし浴衣を着たら、つんつるてんで手や足がはみだした。谷から吹いてくる夜風が身にしみた。(四日市の湯の山での作。信綱はおおがらな人だった)
14 天地のあるじとなるも何かせむ いかでまさらむ此のゑひ心地
たとえ天地を支配する主人となっても何になろうか、何にもならない。なによりも勝っているだろう、酒に酔ったこのいい気分は。(酒を好んだが、量は少なかった)
15 名におへる森の大木のかげふみて あふぎまつらふ神の恵を
名高い大木神社の森の大きな木の下、その影をふみながら神の恵みをうやまい申し上げるのである。(大木神社歌碑)
16 蝉時雨石薬師寺は広重の 画に見るがごとみどり深しも
江戸時代、東海道の宿場にあった石薬師寺。そこで蝉がひとしきり鳴き続けている。浮世絵画家の広重の絵のように木の緑がとても深い。(石薬師寺歌碑)
17 秋高き鈴鹿の嶺の朝の雲 はろかに見つつわがこころすがし
秋の天高い鈴鹿山脈のいただきに、秋の雲がかかっている。遠くはるかに、ここからじっと見ていると、私の心はさわやかでこころよい。
18 ふるさとの鈴鹿の嶺呂の秋の雲 あふぎつつ思ふ父とありし日を
ふるさとの鈴鹿の山のいただきに、秋の雲がかっている。今ここからあおぎ見ながら、心にじんとくることは、ありし日の父に教わったことである。(石薬師文庫前歌碑)
19 鈴鹿川八十瀬のながれ帯にして すずか並山あき風に立つ
鈴鹿川は、多くの浅い川が帯のように流れている。はるかに見れば、秋風のなかに鈴鹿の山々が並び立っている。
20 日本語いく千万の中にして なつかしきかも「ふるさと」といふは
いく千万もある日本語の中で「ふるさと」という言葉ほど、なつかしく私の心にひびいてくるものはない。(弘綱六十年祭)
21 まりが野に遊びし童今し斯く 翁さびて来つ野の草は知るや
子どもの頃、このまりが野(石薬師町)によく遊びにきたものだ。今、このように年老いてやってきた私を、あの時の子どもであると、この草は知っているだろうか。(鞠が野は、鈴鹿市石薬師町にある)
22 山辺の御井にとくだる山ぞひみち 遠松風の音をすがしむ
昔、きれいな水がわきだしていたという、「山辺の御井」にくだる山ぞい道をいくと、遠くの松風の音がすがすがしい。(鈴鹿市山辺町。万葉歌碑がある)
23 生家にゆくと弱かりし母が我をせおひ 徒渉せしか此の甲斐川を
神戸の実家に行こうというので、母は体が弱かったのに私をおんぶして、この甲斐川(鈴鹿川)を、歩いて渡ってくれたのだなあ。(母、光子の実家は、神戸藩の岡元家)
24 道とへばふるさと人はねもころなり 光太夫の碑に案内せむといふ
光太夫の碑への道をたずねると、ふるさとの人は親切だ。自分も案内してついていってあげると言う。(鈴鹿市若松町に大黒屋光太夫の碑がある)
25 これのふぐらよき文庫たれ故郷の さと人のために若人のために
この石薬師文庫よ。りっぱな文庫になってくれよ。私のふるさとに住んでいる人のために、そして若い人々のために。(信綱が、還暦を記念して贈呈した)
26 ますらをの其名とどむる蒲さくら 更にかをらむ八千年の春に
蒲冠者範頼という強く勇ましい男の名を残しているこの蒲桜よ、なおいっそう咲きほこってほしい、八千年のちの春にも。(鈴鹿市上野町にある歌碑。源頼朝の伝説を詠む。桜は昭和十四年県指定天然記念物)
27 むすべば手にここちよし清き水の 今もわきいづるわが産湯の井
両手で水をすくえば気持ちよい。今も清い水がわき出ているよ、ここ私がうまれた産湯の井戸から。(信綱出生、明治五年六月三日)
28 願はくはわれ春風に身をなして 憂ある人の門をとはばや
願いが叶うなら、私は春風に身をかえて、悩みや心配ごとを持っている人の家を訪問し、親身に話を聞いてあげたい。(第一回竹柏会大会出詠。凌寒荘歌碑)
29 人の世はめでたし朝の日をうけて すきとほる葉の青きかがやき
私が生きている世界は、すばらしいなあ。朝の光をうけて木の葉が透きとおっているよ、青く輝いているよ。
30 春ここに生るる朝の日をうけて 山河草木みな光あり
ああ、今新しい春をむかえている。初日をうけて山、川、草、木の自然はすべて光り輝いている。
31 白雲は空に浮べり谷川の 石みな石のおのづからなる
ここは湯の山。白い雲はゆったりと浮かんでいる。谷川にある、石、石、石、それぞれはみなそれぞれの姿をしている。(信綱歌碑。四日市湯の山の河川敷に建つ)
32 ゆく秋の大和の国の薬師寺の 塔の上なる一ひらの雲
晩秋の大和の薬師寺の塔を見上げると、塔の上にひとひらの白い雲が浮かんでいる。
33 真白帆によき風みてて月の夜を 夜すがら越ゆる洞庭の湖
真白い帆によい風が満ちていて、月の夜を一晩中、私を乗せた船は洞庭湖を越えて行く。(中国旅行)
34 山の上にたてりて久し吾もまた 一本の木の心地するかも
さきほどから、私は山上にずうっと立っている。木々の中で私も一本の木になったような気持ちになってきた。(北海道、狩勝峠)
35 なげくなかれ悲しむなかれ日論は 人間の上を照らしたまへり
嘆いてはいけない、悲しんではいけない。お天道様は人間の上を照らしてお守りくださっている。(四男治綱の大病)
36 呼べど呼べど遠山彦のかそかなる 声はこたへて人かへりこず
幾たび呼んでも、遠くから山彦の声がかすかに答えるだけで、亡き妻はかえってこない。(愛妻雪子の死)
37 氷たる水田にうつる枯木立 こころの影と寂しうぞ見る
氷の張った水田に、葉の枯れ落ちた木々が映っている。それを見ていると、私の心の影のように思えて寂しくなってくる。
38 国をおもふ心はも燃ゆかたちこそ 痩せさらぼへる老歌人も
日本の国のことを思う心は強くもえている。体はやせておとろえている、老いた歌人であっても。(太平洋戦争後の真情)
39 かぜにゆらぐ凌霄花ゆらゆらと 花ちる門に庭鳥あそぶ
年月が立った古い家に、だいだい色の大きな花びらの凌霄花が風に揺れている。花の散りしく門先に、鶏がのんびり遊んでいる。(東北旅行)
40 み空仰げ八重棚雲をおしひらき 赫々として初日はのぼる
空を仰いでみなさい。いくつにも重なっている棚雲をおし開いて、いま、赤く輝いて初日はのぼってくるよ。(昭和二十一年。太平洋戦争後、初めての元旦)
41 幼きは幼きどちのものがたり 葡萄のかげに月かたぶきぬ
幼いものは幼いものどうしで、熱心に話し合っている。いつのまにか時間がたって、葡萄棚のかげに月が傾いている。(東大古典科在学中)
42 夕風のさそふまにまにちる花を ことありがほに見る蛙かな
夕風がさそうように吹いてくるにつれて、はらりはらりと散る花びらを、わけを知っているような顔つきをして、蛙が見ているよ。
43 投げし麩の一つを囲みかたまり寄り おしこりおしもみ鯉の上に鯉
池の鯉に麩を投げ与えた。一つの麩を鯉は、かこみ、かたまり、もみ合って鯉の上に鯉が重なりあっているよ。
44 蕎麦の花に百舌が訪ひ来て語らへり 山のはざまの秋風の家
蕎麦の花に百舌が遊びにきて、何か話している。そこは山あいにある秋風が、そよいでいる家である。
45 万葉の道の一道生のきはみ 踏みもてゆかむこころつつしみ
万葉集の研究と万葉集のりっぱさを人々に広めてゆくこと、この一筋の道を、命ある限りしっかりと歩んで行きたい、心を引き締めて。(第一回文化勲章受章)
46 今し成りぬ五帙二十五冊を前におき 喜びの涙とどめあへなく
ああ、今完成した。長い年月と労苦をかけて、この五帙二十五冊の校本万葉集を目の前に置いて、喜びの涙をどうしても止めることができないのだ。(「帙」とは、書物損傷を防ぐために包みおおうもの。「校」は比べるの意)
47 山黙し水かたらひて我に教へ 我をみちびくこの山と水と
引越してきたここ熱海の家から見える山は、だまったままであり、川は語りかけてくる。ああ、この山と水とは、私に教え、私を導いてくれる。(最後の歌集『山と水と』)
48 花さきみのらむは知らずいつくしみ 猶もちいつく夢の木実を
私の夢は、花が咲いて実るように、実現するかどうかわからない。けれど、ずっと大切に育てたい、夢という名の木の実を。(「寵」とは大切に育てること。八十五歳作)
49 ありがたし今日の一日もわが命 めぐみたまへり天と地と人と
ありがとう、今日一日もまた私の命をお恵みくださった。天と地と人とのすべてに感謝する。(遺詠三首の一つ)
50 ふる雪の彌重け吉事ここにして うたひあげけむことほぎの歌
新年の初めにあたって、降り続いている雪のようによいことがますます重なってくれよと、ここ因幡国庁(島根県)で大伴家持が歌い上げたのであろう、年賀の歌を。(万葉集最後の歌は大伴家持) 
注記
一、「かるた」は次の書物や歌碑をよりどころとした。
①『佐佐木信綱全歌集』 佐佐木幸綱監修(平成16年12月2日発行)
②『作歌八十二年』佐佐木信綱著(昭和34年竹柏会)
二、①短歌は新字・旧かなとした。
②短歌の後に記載したのは、満年齢・言葉の意味・作歌状況等である。

佐佐木信綱顕彰会