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今月の短歌 令和5年3月「終の棲家での片山廣子」

師がいます熱海の山辺おもへども汽車に乗りえずとほき国なる

片山廣子『野に住みて』

 3月19日は、信綱の門人であり、優れた歌人で随筆家、アイルランド文学翻訳家の片山廣子の命日である。才気あふれた美貌の貴婦人であったが、夫にも息子にも弟妹にも先立たれ、戦後の晩年は零落した。堀辰雄の小説のモデルであるとも言われ、また芥川龍之介の晩年の恋人と喧伝され、彼女を題材にした小説や評伝が何冊も書かれている。筆者は2019年の3月にこの欄で廣子を取り上げたが、その晩年の歌に惹かれて再度取り上げようと思う。
 さて、掲出の歌は、その廣子が、おそらくは疎開先の下高井戸の家で詠んだ歌だと思う。大森の邸宅は戦火に焼かれ、疎開の家が終の棲家になった。当時の下高井戸は「雨かぜの夜は武蔵野のまんなかで野宿して濡れしほたれてゐるやうな感じもした」と廣子が書いたような土地で、女中一人とのわび住まいであった。
 師の信綱のいる熱海のことを思うけれども、汽車に乗ることが出来ず、そこは遠い国である、と詠むが、「とほい国」とは、距離のことのみならず、師のそばで才気を競ったあの輝かしい時代が遠い国の出来事のように思えるというのであろう。
 疎開してから、まだ田舎住まいに慣れず、うらぶれた思いの表れた歌を、第2歌集『野に住みて』から挙げる。
 心凍えうつしみ弱り野の家になほいくたびの冬を越すべき
 着物のこと思ふ日もあれど古びたるネルのひとへを秋も冬も着る
 一さつの本欲しけれどけふ吾の買い来りしは口に入る物
 思ってもいなかった、「野の家」での「心凍え」、「うつしみ弱」る(うつしみは「現身」、生きている体)現実の生活。とりわけ冬の寒さはこたえたであろう。大森の家では何不自由ない生活を送っていた廣子が「古びたるネルのひとへを秋も冬も着」たのである。着物も買えず本も買えなかったのである。しかし、一方で、こんな歌もある。
 いつよりか激しき心しづまりていまは老いゆく花ある家に
 ひとりゐてトーストたべるわが姿ひとよ見るなと思ひつつをかし
 「いつよりか」の歌、かつての生活では「激しい心」を抱くときもあったが、「いまは老いゆく」と穏やかに現在の自己を受け入れている。「花ある家」は肯定的な言葉である。また「ひとりゐて」の歌の結句の「をかし」は、自嘲的ではあるが、自己を客観視する態度が見えるように思う。「ひとよ見るな」と人目を気にする自分をおかしく思うのである。
 ランダムに『野に住みて』から拾ったのであるが。このように廣子の心は揺れながら、次第に「野の家」の自分を受け入れようとしているのがみえる。(つづく)

短歌鑑賞:森谷佳子