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今月の短歌 3月「春日野の月夜を歩く信綱」

春の夜の霞める月に春日野をわが行くに添ひて鹿も歩めり

佐佐木信綱『黎明』

 この歌は、歌集『黎明』に「大和春秋」と題して載っている。一読して、信綱が春日野を歩いた現実の景だと誰もが思うだろう。きっとそんなこともあったに違いない、と。しかし、私にはその奥に万葉の時代が揺曳するのである。なぜなら、信綱には次のような歌もあるから。

 我が行くは憶良の家にあらじかとふと思ひけり春日の月夜
  月しろきあしびが原をゆきゆけど古へ人は逢わずもあるか

 いずれも、すでにこの欄で取り上げた歌であるが、春日野を歩きながら、この道は憶良の家に通じているのではないかと思ってみたり、馬酔木の咲く春日野を歩いていけばきっといにしえの万葉人に逢えるような心地がする、と詠む。信綱がいかに万葉集の歌人たちに親しみ、その時代に入り込んでいたかが偲ばれて、しみじみとした心地がする。これらの歌を読んだ後で、掲出歌を読みなおすと、信綱と鹿の寄り添って歩いているのは、現実というより、万葉の時代のことのように思われる。ちなみに万葉の時代にも春日野には野生の鹿がいたようである。

 信綱は、春の春日野が殊の外好きであったようだ。それも月の出ている時刻に野を歩くのが。それは、その時刻の薄暗がりの中では、夢幻の境地に浸ることが出来て、万葉の時代にタイムスリップすることができたからではないだろうか。

(短歌鑑賞:森谷佳子)