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今月の短歌 1月「信綱90歳の年賀状」

五条三位東常縁古人のよはひにちかき春にあひ得つ

佐佐木信綱 書簡より

 「佐佐木信綱研究」12号に、『佐新書簡』刊行後発見の信綱の書簡が載っているが、そのなかに昭和36年、信綱90歳の年賀状があり、掲出歌が見える。その年賀状の全文を、下に挙げる。

新 年 御 慶 申 上 候
 向つ丘(お)の杉生かがよひ山庭の老(おい)梅ひらき年を迎ふる
  数へ年九十の齢をむかへて
 五条の三位東(とうの)常縁古(ふる)人のよはひにちかき春にあひ得つ
  「明治大正昭和の人々」一巻をものして
 命なり嬉しかりけり明治大正昭和よき人々に我(わが)あひえたる
 昭和三十六年一月一日

 掲出歌の「五条三位」は、藤原俊成のことで、御子左家の歌の祖であり、定家の父である。俊成は長命で、九十賀の宴を後鳥羽上皇に賜り、その翌年91歳で没した。また「東常縁(とうのつねより)」は、室町末期の武将であるが、二条派の歌人として知られ、宗祇に古今伝授を行ったことでも知られている。94歳で没したと言われる。その二人の歌の道を受け継ぎ、また長命にあやかって二人に継ぐ齢を迎えられたという信綱の感慨を述べた歌であろう。
 この前の年、信綱は「自伝三部作」と呼ばれる最後の『明治大正昭和の人々』を上梓した。明治大正昭和を生きてきて、90歳を迎える節目の年に、多くの人々との出会いを振り返り、その人々との交流を記しおいたのである。
 また、「命なり」は、西行の次の歌を念頭に置いていると思われる。

年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山

 歌意は、年を経て再び小夜の中山を越えようとは思っただろうか(思いもしなかった)、命長らえたからこそであるよ。「小夜の中山」は都から関東に抜ける難所の峠で、歌枕としても有名な地である。西行は、若い時にこの峠を越えて奥州へ向かい、晩年の68歳の時、再びこの峠を越えて勧進のため奥州に赴いた。命あればこそ、またこの地を越えることができるのだなあ、と命のあることの有難さ、また不思議さを「命なりけり」と詠歎した。
 西行は、信綱の最も敬愛したいにしえの歌人であるが、彼は残念ながら69歳で没した。俊成、常縁に触れながら、西行に言及しないのは忍びなく、「命なり」と、命の有難さを詠歎する一句を西行の歌から取ったのではないだろうか。
 なお、「老梅」は、老い人である信綱自身をも指し、「春にあひ得つ」と「我あひえたる」は「あひ」の韻を意識しているというのは、穿ち過ぎであろうか。
 下記写真は掛川市役所観光交流課より提供していただいた小夜の中山に立つ西行歌碑である。

(短歌鑑賞:森谷佳子)