西上人長明大人の山ごもりいかなりけむ年のゆふべに思ふ 佐佐木信綱『老松』
「西上人」とは、信綱が敬愛した、旅に生きた破天荒の歌人西行である。その歌集『山家集』は幼いとき、父弘綱から与えられて親しんだ。「長明大人(うし)」とは日野に隠棲して「方丈記」を書き、「無名抄」という歌論書を残した鴨長明である。二人とも出家し、晩年には山籠もりをしたようだ。生き方は違うが、中世の隠者として代表的な二人である。
掲出歌は『老松』の最後に遺詠として載っているから、信綱の最晩年に詠まれたものであろう。第四句まで、西行と長明、この名高い二人の隠者の山籠もりはどんなであったろうか、と詠まれているが、そのあとの「年のゆふべに」とは、歳末のことであろうか、そうすると、信綱は12月2日に亡くなったのだから、自らの死の近いことを予感して、二人の先達の最後のありさまを思ったのであろうか。亡くなる少し前から信綱は歩くことがままならず、ベッドの上で研究に勤しむ生活だった。それはまさに冬の山籠もりの心境であったかもしれない。
西行の山籠もりの歌と言えば、次の歌が思い出される。
寂しさに堪へたる人のまたもあれな庵ならべむ冬の山里 西行(新古今集冬)
寂しさに堪えている人が私のほかにもいてほしいなあ、その人と庵を並べよう、冬の山里に、という意味である。俗世間を捨てて出家した身にとってもやはり寂しさはつきまとうものであるのだ。冬ともなればなおさら。
長明の「無名抄」から、やはり山籠もりの「さびしさ」を詠んだ歌を一首挙げてみる。
さびしさはなほのこりけり跡たゆる落葉がうへに今朝は初雪 長明(無名抄)
訪れる人の足跡も絶えた落ち葉の上に今日は初雪が降った。それでも寂しさはやはり残っている、という意味であろうか。人間とはどこまでも人間を求めるものなのだ。その人間らしさを率直に詠んだ二首であると思う。信綱も彼らの寂しさに思いを馳せ、自らの寂しさと重ねあわせただろうか。彼の脳裏には先に逝った妻雪子や息治綱がいただろうか。
写真は、西行が最後に籠った河内の弘川寺である。
(短歌鑑賞:森谷佳子)