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今月の短歌 3月「ゆくらゆくら」

春の水ゆたに流れてゆくらゆくら春の帆つづく利根の大川

佐佐木信綱『思草』

 「ゆくらゆくら」という語は、最近はあまり使われないが、万葉集にはよく出てくる形容動詞である。用例としては「大船のゆくらゆくらに思ひつつ)」「大船のゆくらゆくらに面影に」「天雲のゆくらゆくらと釣舟の、波にただよふ梶枕」(いずれも万葉集)のように、船の揺れるさまに擬して、ゆらゆらと揺れ動くさま、あるいは思い惑うさまなどに用いられたようだ。「ゆくらか」という形容動詞も見られる。
 掲出歌は、利根川の春の水が豊かに流れているところに、帆をかけた船が何艘も続いてゆらゆら揺れつつ進んでゆく様子であろうか。「ゆた」と「ゆくらゆくら」で「ゆ」が繰り返され、「豊か」と「ゆったり」、あるいは「ゆっくり」という言葉も連想されて、いかにも春の川水ののどかな様子が浮かぶ。
 この歌は、信綱の最初の歌集『思草』に見えるが、この歌のすぐ後に「櫓声ゆるくうたごゑ遠し朧夜の月のとま舟佐原あたりか」という歌が載っている。同じ風景から詠まれた歌であると思われる。
 「佐原」は古くから利根川の舟運の中継地として栄えた地であるという。調べてみると、佐原の水運は江戸から昭和30年頃まで行われてきた。船は帆を張った高瀬舟だったという。
 「ゆくらゆくら」を使った信綱の歌には、次の歌もある。やはり春の歌である。
春の日にゆくらゆくらと山一つあなたへまゐる太郎冠者かな    『新月』

短歌鑑賞 森谷 佳子