そそりたつMonkey–Puzzle 眞黑き梢かがよへり海の月のぼる
佐佐木信綱『作歌八十二年』
『作歌八十二年』の昭和29年12月の条に「渡辺氏の錦水荘にて」と題詞があり、この歌が載って
いる。残念ながら「渡辺氏の錦水荘」がいかなる所かわからない。ただ、この歌の「Monkey–Puzzle」という表現の奇抜さ、面白さに目を引かれた。昭和29年に、短歌にこうした読み仮名を振るのは非常に新しかったのではないだろうか。
読み仮名の「ましら」は「Monkey」つまり猿の意味で、「たゆたひ」は「たゆたふ」の名詞形で、「Puzzle」の意味であるらしい。ちなみに「Puzzle」は、混乱・当惑くらいの意味であろうか。つまり読み仮名は、読み仮名であると同時に「Monkey-Puzzle」の意味でもあるのだ。
しかし、「Monkey-Puzzle」は、実は植物名であった。正確にはモンキーパズルツリーという木で、日本名は広葉南洋杉、太古から生きている植物で、チリやアルゼンチンが原産地であるという。日本国内でも観葉植物として売られているようである。葉がチクチクして触ると痛く、猿も登れないことが名前の由来であるらしい。文字通り、猿が困惑するというわけである。読み仮名としては非常に独創的ではなかっただろうか。現代でこそ、自由自在に読み仮名を使った歌もたくさん作られているが。
さて、錦水荘とは、別荘の名であろうか、旅館の名であろうか、はたまた植物園の名であろうか。とにかく大きな庭園があって、そこに背の高いモンキーパズルツリーがそそり立っているのである。その異様なユーモラスでさえある木の黒っぽい梢が、海から登る月の光に照らされて輝いている、ということであろうか。その不思議な異様な光景を見て、それを表現するために、アルファベットにひらがなの読み仮名を付けるという工夫で、読む者の意表を突いたのであろう。さらに、中5音以下が変則的で、その異様な光景をより印象付けている。
読み仮名の発祥は、江戸時代に出版が盛んになり、漢字の読めない層にも読めるように、振り仮名が普及したという。漢字の左右に読み仮名と意味を並べた例もあるという。漢語の横にその意味の和語を付するということもあって、結構自由に「振り仮名」が用いられていたようである。
短歌は発祥のそもそもがお互いの意思を伝えあうもの、つまり挨拶のためのものであり、その場で即興に詠む(声を上げて言いかける)ことから始まった。平安文学を読むと、平安時代まではそれが主流であったことがわかる。しかし、新古今和歌集の時代に至って、貴族の間では百首歌や歌合せが頻繁に行われ、和歌は詠み競うという要素が強くなっていったように思う。題詠が主流になり、文字にして味わう、鑑賞するということが中心になったように思う。つまり、挨拶すなわち交際の道具、生活の用の他に、文学作品=芸術の要素が加わったのである。現代では、朗詠は特別な時にイベント的に行われるものでしかない。歌は、声に出して相手に言いかけるものから、文字にして書かれたものを目で読む時代になったのである。そうして、読み仮名が生まれた。読み仮名はもちろん読みを表すが、目では2列の文字を追うことができる。二つの文字表現が同時に読者に訴えかけるのである。そこに目をつければ、さまざまな実験的な試みが可能となり、歌語はより重層的になる。単純に考えても情報量が多くなる。現代の短歌では、音数・字数の調整、言葉の多義性、重層性を得るために、多様な読み仮名が用いられるようになった。例えば、次のような表現も可能である。
長き手をしなやかに使い樹の上に暮らす孤独の「森の人」
吾が人生を終わらんときに頼りなげな少女は人生にまみれんとする
歌い手はAm I dreamingと歌い it´s blissと歌いて止みぬ
掲出歌では、第二句に「モンキーパズルツリー」という木のイメージ、猿が登り煩うという木の命名のイメージ、読み方の古雅で少しユーモラスなイメージを重ねて、下の句に連なっている。このようなユニークな短歌表現が、この時代の他にも見られるのかどうか、私は知らない。歌全体の破調もこの光景の怪異さを表現しているのではないだろうか。信綱の茶目っ気、遊び心、新し物好きが発揮されたアバンギャルドの短歌であると思う。
写真は、幼木のモンキーパズルツリーである。
短歌鑑賞:森谷佳子