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今月の短歌 令和5年4月「終の棲家での片山廣子 その2」

老いてのちはたらくことを教へられかくて生きむと心熱く思ふ

片山廣子『野に住みて』

 廣子の疎開先、下高井戸の暮らしは、彼女のそれまでの貴婦人然とした暮らしと、何と違っていたことだろう。労働ということを、彼女は初めて知ったのであった。それは他でもない、生きていくための糧を得ることであった。次の歌に具体的には表現されている。

来む秋も生きてあらむと頼みつつ小松菜と蕪のたねまく

 やってくる(来年の)秋も生きていよう、と思い、その秋の収穫を期待して小松菜と蕪の種をまくのである。季節の巡りに思いを寄せて、強く生きていこうとしている。

よき歌の一つを欲しくわがいのち長くもがなとこの頃ぞ祈る

 「長くもがな」とは、長くあってほしい、という意味である。 百人一首に「君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな」という歌がある。お逢いする前は、あなたのために捨ててもいい命と思っていたが、お逢いした今は、その命が長くあってほしいと思うことです、という意味である。
 新しい生活には、きっと新しい感慨があったはずである。廣子は野菜たちの育つのを楽しみに、新鮮に日々を過ごしただろう。そして、今までの歌とは違う、新たな歌を、よい歌を詠もうと思ったのである。
 歌集『野に住みて』の最後の歌は次のようであった。

けふわれのかけし祈願はしら雪のふりつもる冬まで待ちてみむとす

 この歌は、おそらく『万葉集』の最後の家持の歌を心に抱いて詠んだ歌であろう。その歌は、「(あらた)しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事(よごと)」である。初春の祝いの歌で、今日降る雪が降り積もるように良い事もたくさん積もれよ、という意味である。この歌を思い出しながら、上の歌を廣子は歌集の最後に置いたのである。「しら雪のふりつもる冬まで」、とりあえず希望を持ち続けようというのである。どの歌も前向きである。廣子はこの時、人生で最も解放されて自由だったのではないだろうか。

短歌鑑賞:森谷佳子