遠つ世のをとめをおもひ万葉に歌のいのち思ふ千曲の岸に
佐佐木信綱『山と水と』
昭和25年、79歳のとき、5月に信濃に行ったという記事が『作歌八十二年』にある。「千曲川河畔の万葉歌碑(東歌の、君しふみてば玉と拾はむ)の建碑式に列した」とあり、三首の歌が載っている。そのうちの二首目が掲出歌である。その、万葉歌碑に刻まれた東歌とは、東国の農民の歌であるが、
信濃なる千曲の川のさざれ石も君し踏みてば玉と拾はむ
作者不詳であるが、女性の歌と思われる。意味は、信濃にある千曲川の小石だって、あなたが踏んだのならば玉として拾いましょう、というくらいか。「玉」とは、真珠のような美しい宝玉のことである。川の中のただの小石でも、恋するあなたが踏んだものなら、私にとっては宝石と同じです、と、恋する乙女の思いが陳べられている。恋人(あるいは夫か)の踏んだ小石にはその愛する人の魂がついているのである。小石を踏んで、おそらくは川を渡って行った彼女の恋人はどこへ行ったのであろうか? 戦いに駆り出されて? あるいは遠くの土地に働きに? いや、ただ昨夜川を渡って彼女に会いに来て、今朝帰ったばかりなのかもしれない。歌からは、乙女の純真なけなげな切ない思いが感じ取られる。
その、信綱揮毫の歌碑は、千曲川の万葉橋を渡ったすぐ右手にあるという。現在そこは「千曲川萬葉公園」といい、万葉歌碑が8基あるという。その中の三首を挙げる。
銀も 金も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも 山上憶良
信濃道は 今の墾り道 刈りばねに 足踏ましむな 沓はけ我が背 作者不明
石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも 志貴皇子
さて、そのときに信綱が詠んだ掲出歌は、遠い世、すなわち遥か昔の万葉の時代の、この歌を詠んだ乙女を思い、万葉集に息づく歌の命を思う、この千曲川の畔で、くらいの意味であろうか。恋する乙女の思いを陳べた歌は、現代にも色あせない純情を表現し、歌の命は永遠に滅びない。
なお、この「信濃なる」の万葉歌を刻んだ信綱の歌碑は、愛知県西尾市の最明寺にもあるというが、筆者はまだ確認していない。
短歌鑑賞:森谷佳子