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今月の短歌 5月 

 来む秋も生きてあらむと頼みつつわれ小松菜と蕪のたねまく

                         片山廣子『野に住みて』

 

 戦争中の昭和19年、廣子は66歳になっていたが、大森の自邸から、杉並区浜田山(下高井戸)に家を購入して移った。「ほとんど硝子張りといったやうなアトリエ風の小家で、雨戸も畳もなく壁はテックスだから、雨かぜの夜は武蔵野のまんなかで野宿して濡れしほたれてゐるやうな感じもしたが、私はわりに気らくで、一二年もすればまた大森の家に帰れる、これは疎開の家だという風に考へてゐた」(「浜田山の話」)と廣子は書いている。しかし、その後大森の家は空襲で焼失した。そして翌20年には、愛息達吉と弟の東作が病死した。廣子の悲しみはいかばかりであったろう。
 掲出歌は、昭和29年、廣子76歳の時に刊行された歌集『野に住みて』に掲載された歌である。武蔵野の田舎に住み、そこで生きるために小松菜と蕪の種まきをしようというのである。初めての「労働」であったろう。家を失い、家族を失い、絶望のどん底に落ちて、おそらくは死を望んだこともあったであろうが、この歌には、そこを通り抜けた清々しい境地が見える。「来む秋も生きてあらむ」とは、やってくる秋も生きていようと思う、ということである。秋の収穫を期待して、おそらく春、種まきをしようとするのである。
  老いてのちはたらくことを教へられかくて生きむと心熱く思ふ  
                         (『野に住みて』より 以下の歌もすべて)

 もう貴婦人として身なりを取り繕う余裕もなく、窮屈な体面を保つ必要もない。「身を守る心」は、生きて食べるという命を守る心となった。「ちひさなる我がほこり」ではなく、もっと大きな人間としての誇りを手に入れたのではないだろうか。次の歌は、そんな下高井戸の暮しをしみじみ味わっているのが伺える。

  子がうゑし芽生の楓そだちけりしみじみ愉し古き家(や)に住み

 子は、仙台に嫁した娘の総子のことだろう。次の3首は楽しい。

  砂糖ほしくりんごも欲しく粉もほしとわが持たぬものをかぞへつつをる 

  すばらしき好運われに来し如し大きデリツシヤスを二つ買ひたり  

  宵浅くあかり明るき卓の上に皿のりんごはいきいきとある 

  りんごが好きであったらしい。りんごが欲しいと願い、そのりんごを買うことが出来た嬉しさ、そのりんごをながめている愉しさを手離しで喜んでいる。子どものようである。廣子はこの時、人生で最も開放されて自由だったのではないだろうか。

(短歌鑑賞:森谷佳子)