年月のつもりはててもそのをりの雪のあしたはなほぞ恋しき
建礼門院右京大夫『建礼門院右京大夫集』
今月は前回に引き続き、信綱の「大すきなる女歌人」建礼門院右京大夫の歌を取り上げる。『建礼門院右京大夫集』は、平家滅亡の20年余り後、建暦2年(1212年)以降に書かれたもので、長文の詞書を持ち、歌集というより歌物語のような趣きの作品である。掲出歌は、その前半部分の、作者の徳子への宮仕え時代の、資盛との交情を回想した部分に出てくる。二人の逢瀬の趣深い場面で、詞書の作者の描写の筆が冴える。一首の意味は、年月がすっかり積もってしまっても、その折の雪の朝はのことは今もなお恋しくて忘れられない。
「その折」とは安元年間であろうか、まだ平家の勢いの衰えぬ頃であった。右京大夫は宮中から里に退がっていた。雪が深く積もった朝、荒れた庭を眺めていると、そこへ「枯野の織物の狩衣(かりぎぬ)、すはうのきぬ、紫の織物の指貫(さしぬき)」を着て、「ただひきあけて入りきたりし(さっと戸を開けて入ってきた)」のは資盛であった。その様子はうっとりするほど優雅で忘れることができず、そののちさらに多くの年月が積もっても心の中では間近く思い出される、と詞書に書く。
資盛が壇ノ浦で海に身を投じたのは寿永4年(1185年)3月24日のことであった。
(短歌鑑賞:森谷佳子)
※ 写真は、寂光院の奥を登ったところにある建礼門院に仕えた女官たちの墓への駒札と、苔むした石段の上にある墓である。