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今月の短歌 7月 「佐佐木治綱の歌集『秋を聴く』より」

ほがらかにつね語りゐし言(こと)のままに大洋(おほわた)の波にまぎれけむかも
北海の藻草のなかの屍の寒くあらむと云ふ吾妹はも

佐佐木治綱『秋を聴く』

 

 『作歌八十二年』の昭和26年7月の条に、信綱の三男で「心の花」の後継者であった治綱氏の歌集の出版会記念会のことが書かれていたので、その歌集『秋を聴く』を紐解いてみた(「心の花」HPのライブラリーより)。題の通りの、秋の澄んだ大気と自然を静かに詠んだ歌のなかに分け入って行くと、息の止まるような歌に出会った。それが掲出の二首である。
「挽歌 義弟鈴木健治戦死す」と題されているので、治綱氏の夫人の弟君が戦死されたときの歌であろう、二首目の「吾妹(わぎも)」とあるのは、亡くなった方の姉君でいらっしゃる治綱氏の夫人である。歌からは義弟の君はいつも「ほがらかに」話される方とわかり、きっとおおらかな心の持ち主でいらっしゃったのだろう。その方がおそらく船で戦地へ向かうときに敵の砲撃を受けて大洋に放り出されたのであろう。一首目の「大洋の波にまぎれけむかも」という表現は、ことの重大さや悲惨さが抑えられ、「ほがらか」な話しぶりで時に冗談も言われたであろう弟君の死を、現実のことというより、波に紛れ込んでその辺を漂っているか、あるいはどこかの波間を泳いでいるのではないか、と思わせるような、そんな詠みぶりである。悲嘆の極みに、このような優しく美しい挽歌を詠めることの不思議を思う。それゆえに心に沁みる歌である。
 二首目は、共に育ちいつくしみあった弟君の、海中(わだなか)の藻草に抱かれた屍は寒いであろうと思いやる夫人の言葉を詠い入れ、これも美しく優しい一首である。一読して胸が詰まる思いである。
 夏が近づくと、あの遠い戦争を私たちは思い出す。また思い出さねばならないと思う。挽歌は、決して色褪せない形で、私たちに戦争の悲惨や理不尽さを訴える。
 さて、『作歌八十二年』に戻る。信綱は治綱氏の歌集の出版記念会の日のことをこう回想している。

 熱海を出る時に泰山木のつぼみの枝をもらったので、持っていって治綱君の前の卓にさしておいたに、諸氏の祝の詞のうちにほっかりと開いた。夜鶴の情かかる事さえも喜びに堪えなかった。外祖母延子刀自や雪子が世にあったらばとしのばれもした。

 「夜鶴」とは、親が子を思う深い愛情を意味する。治綱の外祖母延子と母の雪子はこれより数年前、相次いで亡くなっていた。

(短歌鑑賞:森谷佳子)